日本全国に張り巡らされた鉄道網ですが、人口減少もあって赤字路線が増加。23年10月には、再編を促す改正地域公共交通活性化再生法も施行されました。それでも鉄道は私たちの足として不可欠で、今では「趣味」として楽しむ方も多くいらっしゃいます。そんな鉄道ファンの一人が、森口誠之さん。いわゆる「乗り鉄」で国内、海外を旅する中、鉄道の歴史を調べる趣味もあるとか。森口さんいわく「当初、池上電気鉄道は目黒〜池上〜大森間で電鉄線の敷設を計画していた」そうで――。
池上電鉄は、山手線五反田駅を越えて白金地区まで延伸を計画
山手線で五反田駅ホームに着くと、高架のJR線よりさらに高い位置で東急電鉄池上線の電車が発着しているのが見える。東急のホームと改札口は、駅ビルの五反田東急スクエアの4階に位置する。
都会のローカル線的な趣もある池上線の駅がこんな高い位置にあるのは、この先、山手線を越えて、白金地区、今の都営地下鉄浅草線高輪台駅付近まで延伸する計画があったからだ。
現在は東急の一路線となっている池上線だが、戦前は池上電気鉄道によって運営されていた。当初、池上電気鉄道は目黒〜池上〜大森間で電鉄線の敷設を計画していた。
ただ、大森駅付近での用地買収が難航したため蒲田駅ルートに変更することになった。1922(大正11 )年に最初の区間である池上〜蒲田間、翌1923年に雪ヶ谷(現・雪が谷大塚駅付近)〜池上間を開業した。
池上電鉄とは別に、東急グループの原型となる田園都市株式会社も、荏原郡、現在の世田谷区・大田区付近で電鉄線の計画をしていた。自社の60万坪もの土地を活用すべく、都心とつなぐ鉄道が欲しかったのだ。
目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が1923年12月に目蒲線目黒〜田園調布〜蒲田間を全通させている。今の東急目黒線と東急多摩川線の前身会社である。
同年9月の関東大震災をきっかけに、東京市内から郡部への人口移動が進み、目蒲電鉄沿線の住宅開発が好調なこともあって、利用は順調に推移した。
一方、池上電鉄は窮地に陥る。目蒲線は池上線と400〜800mほどの至近距離を走っており、両社の駅勢圏は重なり合っていた。また、雪ヶ谷駅は山手線や東京市電とは接続しておらず、東京市内へ行くには蒲田駅を経由せねばならない。ライバルに出遅れてしまった。