浮上した「西武新宿地下駅」と新宿線複々線化計画
西武は、仮駅扱いだった西武新宿駅を本格的に活用することにして、1967(昭和42)年に急行列車を8両化、1975年からは10両運転を始めた。さらに西武新宿駅ホーム南側に駅ビルの建設を決めた。
場所は延伸線予定地として155m分を確保していた土地だ。1977年に地上25階のビルを完成させ、ビル内に新宿プリンスホテルとショッピングモール、2階部分に西武新宿駅改札口につながる連絡通路を整備した。
新ホームは2面3線で2分間隔の10両対応も可能となり、新宿線の輸送力増強、そして混雑緩和に寄与することとなる。ただ、高架線で国鉄駅近くまで延伸することは物理的に不可能となる。
新宿地区は80年代に就業地や商業地として急速に発展する一方、中心部や副都心から外れた西武新宿駅の立地の悪さが目立つようになる。そこで、西武は1987(昭和62)年に西武地下急行線計画を公表する。
西武新宿〜上石神井間の現在線の地下に新線12.8kmを敷設して複々線化するプランである。新駅は高田馬場と新宿の2駅で、急行など優等列車は地下新線、普通は地上の現在線を走ることになる。
朝ラッシュの運行本数は毎時26本から32本(うち地下急行線20本)に増発すると想定していた。新宿地下駅は、丸ノ内線新宿駅の北側を想定していた。新宿通りの地下空間を活用し、地表35m下の地下6階部に延長210mの島式ホームを予定した。60年代に検討された東口延伸線のホーム予定地の真下となる。
総工費は1500億円で、1997(平成9)年度完成予定としていた。
ただ、1995年、西武は、都知事に地下急行線事業の延期を申し入れる。地下水位対策と地盤改良、地下トンネルの防災対策に費用がかかり、事業費は2900億円に上振れしていた。当初の建設費の試算にかなり無理があった。また新宿線利用者が1991年をピークに減少したことで将来の事業性が不安視された上、大深度地下トンネルを掘るための法整備の目処もたたなかった。
その後も西武地下急行線は計画の上では生き残っていたが、西武は2019(平成31/令和元)年、正式に都市計画上の廃止の手続きをとり、計画はまたもや未完で終わった。
代わりに西武は西武新宿駅と丸ノ内線新宿駅を結ぶ地下通路の整備を提案し、2021年に都市計画決定がなされている。地下急行線新駅のコンコースとなる予定だった地下空間を通路とする計画である。西武新宿駅にまつわる3度目の計画、今度こそ実現できるのか注目は集まる。
※本稿は、『開封!鉄道秘史 未成線の謎』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
『開封!鉄道秘史 未成線の謎』(著:森口誠之/河出書房新社)
計画されながらも、様々な事情で未完成に終わった鉄道路線=「未成線」。全国に点在する「幻の路線」の計画経緯から未完に至った背景まで、その知られざる歴史と魅力を浮き彫りにする!