今でも思い出しては、やる瀬なさでいっぱいになる子供時代の想い出とは(『扉の向う側』(マガジンハウス)より)
出入国在留管理庁によれば、2019年には2000万人を超える日本人が出国していましたが、ここ数年は急減。コロナ過が明けたことで、ようやくその数も戻り始めています。一方、「旅する漫画家」として知られているのが、随筆家で画家、東京造形大学客員教授も務めるヤマザキマリさんです。実際、14歳に初めて1人でヨーロッパを旅してから今まで、国境のない生き方を続けてきたマリさんですが、今でも思い出しては、やる瀬なさでいっぱいになる子供時代の想い出があるそうで――。

楽しかった子供社会

1970年代半ば、実質経済成長率10パーセントの高度成長期が、オイルショックという現象とともに急激に終焉した頃、当時小学校の低学年だった私はそんな世の中の流れなど何処吹く風で、毎日を楽しく過ごしていた。

当時通っていた北海道の小学校では、生徒たちの経済格差は今よりも歴然としていたが、子供たちにとってそれは大した問題ではなかった。

商売をしているお金持ちの家、会社員の社宅、何を生業としているのかわからない家、見るからに貧しい長屋のような家。人の家の様子がみんなそれぞれ違うのは当たり前だったし、むしろその多様性が面白かった。

私が当時暮らしていた団地の部屋にやってくる子供らは、母が留守なのをいいことに、戦前長い間アメリカで暮らしていた祖父が持ち帰ってきた大きな鉄枠のベッドで飛び跳ね、壁に飾ってあったレプリカのモナリザの絵を「怖いおばさん」と怖がって大はしゃぎした。

親が商売を営んでいる少年の家へ遊びに行くと、お菓子や飲み物を好きなだけ出してもらえたが、無職だけどパチンコの上手いお父さんのいる子の家でも、やはりお菓子や飲み物は食べ放題だった。

家族や経済的な事情と日々の楽しさがシンクロするとは限らないのが、当時の日本の子供社会だった。