「がんこ」で「しつこい」

本人は自身のことを「がんこなところがある」と評する。「しつこい」とも言う。小林の母、孝子も「がんこなところのある子だった」と言う。

小林は1961年、父・久盛と母・孝子の間に兵庫県西宮市で生まれた。両親の名からそれぞれ音をもらい「ヒサタカ」と名づけられた。両親はともに中学や高校で教職にあった。父はのちに西宮市の教育長を長く務めた。幼い頃は両親が働いていたから、おばあちゃんによく懐いていたという。

興味のある対象には食いつく一方で、興味のないことにはまるで関心を示さない子供だった。

『がんの消滅――天才医師が挑む光免疫療法』(著:芹澤健介、監修:小林久隆/新潮社)

「小さな頃から少し大人びたところがある子でしたね。クレヨンを渡してもスケッチブックには絵を描こうとしない。でも、ある時、何か一生懸命に手を動かしてるなと思ったら、一面にびっしり数字ばかり書いていたんです。教えてもいないのに。あれにはさすがに驚きました。それから、言葉を覚えるのもずいぶん早くて、まだ2歳だというのに大人と普通に会話をしていましたからね」

東京オリンピックが開催された年、孝子の背におんぶされた3歳の小林は、商店街に飾られた万国旗を指さしては、「これはアメリカ!」「ギリシャ!」「日本!」と言ってまわりの大人たちを驚かせたという。その一方、幼稚園では小林だけがお遊戯で踊らず、周囲を戸惑わせた。

「イヤと言ったらきかないところがありました。でも、自分の興味があればどんどんやる、そんなタイプの子供でしたね」

小林は気難しいタイプではない。むしろ気さくだ。取材でも、自分の研究内容などについては真剣な表情で真摯に答えるが、リラックスした場面では饒舌だし、冗談も飛ばせばよく笑いもする。