世界に先駆け日本で初承認された、光を当てることでがん細胞を破壊する「光免疫療法」。開発者の小林久隆先生は、『情熱大陸』や『ガイアの夜明け』にも取り上げられ、世界からも注目が集まります。そんな発見に至るまでに歩んだ道とは。医学部を卒業後、最初は研究者ではなく、現場で患者を診る医者としてのキャリアを選んだ小林先生。さまざまながんの治療に携われるということで放射線科に行き、そこでの経験は後の活動に大きな影響を与えたそうで――。
研修医時代
がんを治したくて医者を目指したはずだった。放射線科の道を選んだのもそのためだった。だが、「治す」ということとはほど遠い場所に小林はいた。
当時は患者への告知もしなければならなかった。
今では医療行為に際してインフォームド・コンセント(充分な説明と同意)が行われることは必須だが、1980年代の後半、医療方針はほぼ医師の独断だった。従って、がんであることを告知するかどうかも小林の印象では「半々」だった。それはつまり、患者の半分には「嘘を伝えなければならない」ということだ。
「告知をするかしないかは、直属の上司の先生が決めていたんです。担当していても自分では決められなかった。上の先生が決めるのだって、この患者さんはがんだと伝えても大丈夫そうだなとか、こっちの患者さんは気が弱そうだから告知はしないでおこうとか、そんな理由ですよ。それで患者さんに伝えるのは僕らのような若手の研修医。
末期がんの患者さんに、別の病名を伝えたこともあります。嘘をつくのも辛かったですけど、つかれた方も辛いですよね。患者さん同士が大部屋で話したりすれば、結局、自分以外が全員がんだったら気づくじゃないですか。ああ、自分もがんなんだなって。だから、日曜日に看護婦さんから困った声で電話がかかってきて、患者さんが泣いてはるんで来てくださいって呼び出されたこともありました。
別の病気やと思ってたけど、やっぱり私はがんやったんですねと患者さんからは言われるけど、上の先生からは告知してはいけないと言われているし、どう対応すればいいのか、本当に困りました」