「ただただ卒業したかった」
嘆くことはあっても、悲しいという言葉はありません。負けず嫌いの仁子は、何が起こっても「クジラのように」すべてを受け入れます。映画の場面を楽しむような余裕すら感じます。でも、問題は「お腹が減る」ということでした。
「財布に六銭ある。市電に乗って帰ろうか、うどんを食べようか」と悩むのです。電車賃のない時は、学校から家まで歩いて帰ることもありました。
「わたしの電話局の給料二十四銭で三人生活するが、学校の月謝払えず」
あれほど優秀だった成績がどんどん落ちて行きました。電話局通いが続いたため、英語と数学が分からなくなったのです。英語のT先生と数学のO先生は、仁子が授業に出ていないのを知っていて、わざと質問をします。
しかし同級の梅谷(名は不明)という生徒がノートを貸してくれたお陰で、何とかついていくことができました。また、女学校では裁縫の絹本仕立ての授業がありました。仁子は電話局に勤めていたために、縫い上げる時間がありません。この時も梅谷が助けてくれました。
ただし、「梅谷さんに材料を借りて、縫ってもらって提出した。乙の上だった。本当は、私は器用なのに」と、残念そうです。
戦前の通信簿は「甲、乙、丙、丁」の四段階評価でした。もし自分が縫っていたら甲の上が取れたのにと言わんばかりに悔しがるのです。
仁子は結局、学校と電話局に通い、つごう六年間をかけて十八歳で女学校を卒業しました。我慢強くおおらかな仁子でも、さすがに胸を揺さぶるものがあったのでしょう。
「成績はどうでもよい。ただただ卒業したかった。卒業式の日、胸がいっぱいで言葉はなかった」と、手帳に書き残しています。
仁子は一番感受性に富んだ少女期に極貧の生活を味わいました。しかし、苦労は無駄にはなりませんでした。それどころか、電話局で一年間見習いをし、三年間夜勤で働き、苦労して手に入れた電話交換手の資格が、のちに夫となる安藤百福との運命の出会いにつながるのです。
※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。
『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)
NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?
幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。