「恋愛市場での需要」という尺度

最近でも、エイジズムを感じる出来事があった。元テレビ東京のアナウンサーの森香澄さんが、自身の写真集の告知で、Xに「28歳という、まだ未熟だけど、子供ではない。大人のような。子どものような。そんな今の私がぎゅっと詰まった1冊になっています」と投稿したのだ。それが凄まじい波紋を呼び、「28歳は立派な大人だ」という声が殺到した。

私は森さんと同学年だが、確かに28歳が「子どものような」は無理があるし、そりゃあ反論されるよな、とは思う。でも28歳なんて、社会人としても人間としてもまだペーペーで、未成熟なのは間違いない。逆に、「自分は成熟した大人だ」と言い切れる人がどれだけいるだろう。きっと、精神的に大人で余裕のある成熟した人は、「28歳なんて子どもみたいなものよ」と言えるのだと思う。「28歳は立派な大人だろ!」と噛みつく人は、精神的に子どもなのではないか、なんて思ったりした。

『死にそうだけど生きてます』(著:ヒオカ/CCCメディアハウス)

問題はそこではなくて、森さんの投稿についたものすごい数の引用ポストは、「28歳なんてババア」「おばさん」「熟女」といった言葉の数々だった。他にも、「結婚して子どもを産んでいる年齢だ」「婚活だともうギリギリの年齢だ」というものも多かった。総じて、男性から求められる「女性としての価値」という観点で、タイムリミットが迫っている、またはもう過ぎている、と言いたがるようなものがうんざりするほど多かったのだ。

現実世界でも、やたらと女性に「もうおばさんだと自覚しろ」みたいに言いたがる人はいる。そもそも大人かどうかの基準に、結婚や出産なんて関係ないはずだし、全てが「恋愛市場での需要」という尺度で女性の価値を決めたがる風潮に心底うんざりする。こういう話になると必ず、人間には子孫を残したいという本能があって、若い女性が求められるのは仕方ない、みたいなことを言い出す人がいる。

しかし、男性にも女性と同様に生殖においてタイムリミットがあることは研究で明らかになってきていて、生物学的に若さが求められるのは性別は関係がない。それなのに、やたらと女性にばかり若さが求められ、これでもかと言うくらいシビアに、25歳を超えたら価値がない、身の程を知れ、みたいに言われ続ける状況は、異様だし異常だと思う。あるあらゆるコンテンツが、「若くなければ価値はない」と訴えてくるような社会にいたら、女性が年齢の呪いにかかるのは必至で、朱里がまだ23歳なのに常に差し迫った”タイムリミット”に焦りを感じているのも無理はない。

さらに、田中さんと偶然スーパーで出会い、親交を深めていくことになる36歳の笙野(毎熊克哉)が、40歳の田中さんのことを「おばさんだから抱けない」と言うシーンはなかなかに衝撃だった。

笙野は、超亭主関白の父、徹底して夫に従う専業主婦の母に育てられた。「家庭的」「控え目」など、結婚相手に求める条件が古風な笙野にとって、その条件を満たす田中さんは理想の女性であるはずだ。それなのに、たった4歳年上だから恋愛対象として見られないという。でも、この笙野の感覚は、世の男性の価値観を象徴している。さまざまなデータで見ても、恋愛の相手となる女性は年下がいい、少しでも年上はNGという男性は多い。実際、男性が年上の歳の差カップルはごまんといるのに、その逆はとても珍しい。