男は年収、女は若さの”等価交換”

小西のセリフで「男の学歴・年収と、女の若さ・可愛さは等価交換」というものがある。実際、35歳・商社マンの小西と、一回り年下の容姿に恵まれた派遣社員の朱里は、まさにそれを体現したようなカップルだ。女が若さを求められるというなら、男だって年収を求められ、ある意味でお互い様だとも言えるのかもしれない。ただ、”等価交換”とは言うけれど、年収は年齢と共に増やせる可能性があるのに対し、時間は不可逆で若さは目減りしていく一方である。女性は努力でどうにもならない、時と共に失われていくもので勝負しないといけないと考えると、消化しきれない思いも湧いてくる。

写真提供◎AC

『セクシー田中さん』の中で一番、「女性の年齢のタイムリミットの残酷さ」を突きつけられたのが、笙野の母・悦子(市毛良枝)が登場した回だ。悦子は甲状腺にしこりがあって病院での検査を控えており、結果が悪ければ先が長くないかもしれないと言われていた。怪我をして動けない一人暮らしの息子の手伝いに、という名目で笙野の自宅に泊まりに来たのだった。

悦子が珍しくはめを外し、飲み過ぎて眠ってしまった後、笙野は悦子が書いた「死ぬ前にやりたいことリスト」を発見する。そこには、「孫の顔が見たい」と書かれていた。悦子の体調を考え、笙野は深刻にその願いを受け止める。笙野は田中さんのことは恋愛対象として見られなくても、人間として尊敬しており、徐々に惹かれ始めていたのだが、結局悦子から勧められた30代前半の女性と見合いをすることを決めるのだ。

悦子も、息子の代わりに東京を案内してくれた田中さんのことはすごく素敵な人だと思っているし、とても気に入っている。しかし、悦子は笙野に言うのだ。「田中さんはすごくいい人だし、付き合うならいいけど、家庭を持つにはちょっと年上すぎる…」

先ほど触れたように、笙野と田中さんはたったの4歳差だ。この場合の”家庭を持つ”には”年上すぎるの意味”とは、つまり子どもを産むのが難しい年齢だという意味だと考えられる。付き合うのはいいけれど、という前置きもあることを考えると、それ以外は考えにくい。描写がすごく自然で、直接的でないからこそ、意味を悟った時のインパクトと破壊力が凄まじかった。笙野も、結婚して子どもを産むなら、30代前半の女性と付き合うのが”自然”だからと言って、好きという確信もないのに、お見合いした女性と交際を始めるのだ。

悦子が言う「(40歳の田中さんは)家庭を持つには年上過ぎる」も、笙野が言う「30代前半の女性と家庭を持つのが”自然だ”」も、どちらも悪気はないし、きっと間違ってはいない。でも、ふたりとも田中さんの人間性や人柄には心から惚れ込んで、かけがえのない存在とすら思っているのに、「子ども(孫)を産めるか」「恋愛対象として求める若さがあるか」という点で、恋愛や結婚の相手から除外しているという事実が、あまりに残酷で、観ながら胸が抉られたのだ。