健気に生きてきたのに、思いがけない成行きが
「孤独死」ということばにはマイナスイメージが含まれているようで、畏友・上野千鶴子さんが「ひとり者がひとりで死ぬのはあたりまえ」とおっしゃるのは、そのとおりと存じます。そういえばこの1年で同世代の知友の訃報がたくさん届きました。
そのうちの一人は、子どもさんとは別居、夫君亡きあとも社会参加し自立したひとりぐらしを楽しんでいました。ご遺族が母の死を知ったのは2、3日あとだったようです。大往生と言えばそれまでですが、葬儀のときの子どもさんたちの嘆きようが痛ましかったそうです。
お医者さんが死亡診断書を書いてくれる死に方が普通の死亡。おひとり死の場合は「死因不明の急逝死や事故で亡くなった場合」は、たとえば都民の場合、東京都監察医務院へ送られ検視、検案、解剖。死亡診断書でなく死体検案書というそうです。
近ごろの親は、老いの生き方住まい方まで難しい。嫁姑問題を避けて「自立」の時間を長くしようと健気に生きてきたのに、思いがけない成行きが待っていた。
平均寿命を超えたひとり住まいの親には、できれば一日一度、安否確認をしたほうがいいのかしら、とあらためて考えた次第です。
※本稿は、『どっこい生きてる90歳 老~い、どん!2』(婦人之友社)の一部を再編集したものです。
『どっこい生きてる90歳 老~い、どん!2』(著:樋口恵子/婦人之友社)
読者から大きな反響と共感が寄せられた『老〜い、どん!』から3年。待望の続編です。「2022年5月の誕生日を迎えると、私は90歳。米寿を過ぎ、90代という本格的な高齢期に入りつつあります。かつて私が考えていた老いというのは、あえて言えば“かりそめ”の老い。嘘ではないけれど、あれはまだ老いの入り口だったということをつくづく思います」と樋口恵子さん。読者からの人生相談、密着した樋口さんの1日も必見。シニア世代に勇気を与える1冊です。