最初はアメリカに帰るつもりだった

デーブ 最初は友達と遊びに来たんですよ。日本のマンガ教えてくれて、日本語を学ぶきっかけくれた菅野渡くんって友達の家族と。2週間くらいいたかな。

2度目が留学。1972年。その時は1年ちょっとでシカゴに戻ってテレビの仕事しようと思って帰って、ロサンジェルスでワイフになった京子と出会ってシカゴで結婚して、83年にそうね、ドキュメンタリー番組作るためにロケで日本来て。

『ニッポンの闇』(著:中野信子・デーブ・スペクター/新潮社)

中野 じゃあ最初はアメリカに帰るつもりだったんですか。

デーブ そう。ロスにマンションも買ったし、ロケ終わったら帰るつもりだった。でも日本のテレビ局で面白い映像探してアメリカに送る仕事することになって、残ったんですよね。京子も日本来て、アメリカのテレビ局お金あるから二人でホテル暮らし。日本が面白くてね。そのままずっといる。

最初にテレビ出たのはタモリさんの『笑っていいとも!』でしたよ。なぜか人気コーナーのレギュラーになって。当時は外タレブームだったしね。今もプロデューサーですよ! もちろんコメンテーターだし、タレントだし。いや、僕のことはいいじゃないですか。