貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在も「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第58回は「本質的な人間関係について」です。
息苦しさを感じる
「これからずっとひとりで生きていく自信ないなぁ」と友人や知人に言うと、間髪入れずに「今すぐマッチングアプリ登録しな!!」「婚活しないとやばいよ」と言われる。友人たちが心配して言ってくれているのはよくわかるのだ。実際、婚活市場で年齢はすごくシビアな条件。
もう少し年を取ってから、やっぱりあのときこうしていればよかった、と後悔してももう遅い。不可逆な時間を生きている私たちは、「今が一番若い」「時とともに(婚活市場では)需要が少なくなる」そんな現実と向き合い続けなければならないのかもしれない。
そうは言っても、ひとりが寂しいなら婚活!マッチングアプリ!それしかない!というのはやっぱり息苦しく、腹落ちしない部分もある。最近、SNSでも、恋愛やパートナーシップについて、様々な声を目にするようになった。
「自分より大事だと思える存在が欲しい。でも、恋愛には興味がない」
「誰かと一緒にいたいと思う。でも、その先に性愛があるのがしんどい」
「付き合っている人がいて、いずれ結婚するのかもしれないけど、子どもは欲しくない」
「近所に同性同士で住んで、行き来し合う関係が一番いい」
共通するのは、「誰かといたい」「心から大事に思い、思われる相手は欲しい」ということだろう。ただ、それを望むこと=恋愛(しかもそれはほぼ確実に性愛を伴う)ということへの違和感を覚える人が、決して少なくないのだろう。
こうした声が投稿されるたび、膨大な数の共感の声を集めているのを見ると、恋愛至上主義やロマンティックラブ・イデオロギーに息苦しさを感じるのは自分だけではないと感じる。