私に帰る場所って、あるのかな?
姉家族が義兄の実家とテレビ電話をしている時間、となりの部屋でぼーっとしながら、元は家族だった姉も、すっかり他の人と新たな家族を築いたのだな、としみじみと感じた(それはもちろんすごく喜ばしく嬉しいことだ)。
家庭を持った友人と疎遠になっていったとき、姉家族と一緒にいて自分をゲストだと感じたとき、率直に感じたことがある。「私に帰る場所って、あるのかな?」みんなにはある”それ”が、自分にはない。これからもずっとひとりなのかな。そう思うと、呼吸ができないくらい、心が全身打撲したみたいに痛い。
「寂しい」とこぼすと、でも仕事仲間やたまに会う友達はいるでしょ?と言われる。でも、きっとそういうことじゃない。私が欲しいのは、一時的だったり、ごくたまに会う、という関係ではなく、恒常的な関係、人生のレギュラー、心や時間を割く相手、内と外で言う内。
いいことも、悔しかったことも、人生の悲哀、苦楽を共有できる。そんな「帰る家」のような存在なのだ。
ある既婚者の先輩に、「最近、帰る場所のような存在が欲しいと思うようになった」という話をした。いつもの如く、「今すぐアプリ始めな!」と言われると思ったが、「共有したいと思える相手が欲しいと思えることは、それはそれで豊かなこと」と言われた。
その先輩のパートナーシップについて聞くと、「今の相手は、とにかくこの人のために色々したいと思えた」「人生を分かち合える」「女性らしくしなくちゃ結婚できないと思っていたけど、そうしなくても一緒にいられた人」という答えが返ってきた。それを聞いて、素直になんて素敵なんだろう、と思った。
さらに、「入口は恋愛だったけど、その後続く一対一の関係はそんな浮ついたものじゃない。恋愛だろうと恋愛じゃなかろうと、どんな関係でも本質的には、誰かと深い関係を築くために必要なことは同じ」とも言っていた。