記号の統廃合

戦後は昭和28年(1953)10月1日施行の町村合併促進法のもとで、合併が大々的に進められていく。これにより市町村数は減少した。

具体的には同法施行前日に9869市町村に及んだ基礎自治体数は、同法失効直後の昭和31年(1956)12月1日に3975市町村と6割減となっている。

このため特に○印は全国的に減少した。平成の大合併後の今ではもっと減って792市743町183村、これに東京都23区を加えて1741市区町村と、市が最多になった。

昭和40年(1965)前後には地形図作製工程の合理化や写真植字の採用(それまで文字はすべて手書きだった!)により、図の見た目もだいぶ変わっていった。

ちょうど高度成長期で国土の変貌が激しく、地形図の主力も5万分の1から2万5千分の1に移行して作製すべき図の面数が飛躍的に増えたことにより、短時間に多くの図を作製する必要に迫られる背景もあって、記号の統廃合が進められたのである。

役所関係の記号としては、都道府県庁の記号が「昭和40年図式」で廃止された。1200面を超える5万分の1,4000面を超える2万5千分の1地形図のうち、都道府県の数、全国でたった47ヵ所にしか載らない記号であるためだ。

廃止に伴って図上では「県庁」「道庁」といった文字表記に置き換えられている。

そういえばアメリカ合衆国の地形図は記号数をなるべく少なくする主義のようで、病院はHosp、消防署はFire Sta、墓地はCemなどと略記が目立つ。

きわめて珍しい例外として、地形図上で村役場が記号でなく文字表記される場合もある。

交通事情のため他市に役場を置いている村がそれで、三島村と吐喝喇(とから)列島の十島(としま)村は鹿児島市街に、西表島や竹富島を擁する竹富町は石垣市内に、いずれもその旨がわかるように「三島村役場」などと記載されている。

 

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。