医者もいたけれど

現代において病気になったら、たいていはお医者さんの力を借りることになると思いますが、平安時代にも医者はいました。

医師(くすし)は、律令制下の日本における典薬寮の職員で、従七位下相当。定員10名。

医師希望の者は、13-16歳位で医生として典薬寮に入学。教養課程2年及び専門課程(内科7年、外科5年など)を経たのち、卒業試験と任官試験を受けて合格して朝廷専属の医者になります。

実態はよく分かりませんが、経験則に基づいて薬草の調合をやっていたのだと考えられます。

ただし当時、えらい人の調子が悪くなれば、お医者さん以上にお坊さんが活躍します。お坊さんに「加持・祈祷」をしてもらって、まずは病魔の退散を祈るわけです。

まあ、それでは治りません。というわけで、平安貴族の平均寿命は短かったのですね。

※本稿は、『応天の門』(新潮社)に掲載されたコラムの一部を再編集したものです。


「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!