舞台を見に来ているだけなので……とすっぱり思えたらいいのかもしれない。客席降りは苦手で……とか言えたらいいのかもしれない。でも近くに来てくれるのは嬉しいし楽しい、その人がはっきり自分を見ているとわかる時間は嬉しい。舞台も好きだけど、その人がそこにいることにものすごい奇跡を感じてしまって、その嬉しさを思い切り浴びた瞬間、嬉しいことを伝えたいってどこかで願ってしまう。あなたのことが好きですと伝わったらいいのになと、それは自分自身の「夢見る気持ち」として思う。客席降りみたいな近さになったとき、そういう自分の気持ちに戸惑って、「わ、わ、わ」となってしまうんだ。

「好き」と伝わることにものすごく幸福感があるのはどうしてなのだろう。伝えられないと「できなかった」と落ち込むのはどうしてなのかな。私は、その人を好きになって本当に豊かなものを、幸せをもらってきて、私自身を大切にすることもたくさんできるようになったと思うから、「好き」でいることがその人にとってどうなのかはわからないとこもあるけど、私にとって私の「好き」は宝物で、絶対に丁寧に、そっと扱いたいって思っている。川の水が、流れ続けることでずっと澄んでいるように、「好き」もずっと伝えていたらずっと澄んでいるのかもしれないって思う。伝えるつもりでいる限り、自分勝手な「好き」ではいられないし、ずっと磨いていなくちゃいけないし。だからこそ、自分の「好き」を私は好きでいられるのだろう。

 私はそんなふうに好きでいられることが幸せで、そういうことを許してくれるこの世界が好き。そして多分、だからこそ、目の前にその人がいたとき、ちゃんと伝えなあかんのちゃう……?と、どこかで思っていて、だから焦るのかなって思う。