新府城へ続く険しい階段(写真:婦人公論.jp編集部)

東京大学・本郷和人先生に連載いただいている『婦人公論.jp』では、先生とのご縁をきっかけに「日本史ツアー」を開催しています。初回「徳川」に続く第2弾のテーマはズバリ「武田」。一泊二日でゆかりの地を巡り、最終目的地として甲斐武田終焉の地・景徳院に向かいました。そこで本記事では、参加者が味わった臨場感と知的興奮を読者の皆さんにおすそ分けしたいと思います。第三回は「新府城・景徳院」編です。

新府城へ

「日本史ツアー」2日目。後半は信玄の後継者・勝頼の歩みに沿ってツアーは進んでいきます。

バスはまず、韮崎市の新府城跡へ向かいました。

新府城は、躑躅ヶ崎館では敵を防ぎきれないと判断した勝頼が、短期間で築いたとされる新しい拠点です。険しい七里岩と呼ばれる岩盤の上に立地しているうえ、周辺には沢が入り混むなど、かなりの要害地にあります。

のぼってものぼっても階段は続く(写真:婦人公論.jp編集部)

馬出し・三日月堀などの迎撃設備が設けられるなど、技巧的な平山城だったとされますが、織田軍らに領地へ攻め込まれて配下の武将が離反した結果、たった数か月で放棄されたという、悲運の城でもあります。

バスを停めて、降りた先で待っていたのは、険しい斜面に作られた長い長い階段。下からは頂上が見えません…。

先生も一緒に階段を進みます(写真:婦人公論.jp編集部)

ようやく階段を登ったころには息も絶え絶え。その防御力の高さを自らのカラダで思い知ることになりました。