数年前、六十の前後、同世代の友人たちが「年のせいか、何々ができなくなった」と口々に言うのを聞いて、何いってやんでいと思っていた。親友枝元も同い年だが、そんなことは絶対言わなかった。ふたりで、てやんでいと思っていたもんだ。
その頃、あたしは夫の看取りで忙しかったし、若犬だったクレイマーには今よりもっと散歩が必要だったし、夫の死んだ後は気持ちが宙に浮いてたし、日本に帰ってきてからは早稲田で若い学生たちの相手に明け暮れて、老いたもへったくれもなかった。
老いた自覚はまるでなかったが、熊本─東京のハードな通勤で、ときどき手首や腰や膝を痛めた。それは若いときにはなかったことだ。階段も辛かった。
今はズンバやってるから、その頃より体力はある。身体は動く。膝や腰はときにキシるが、ズンバを正しくやってるうちに治る(これ、いつか語ります。乞うご期待)。
ときどき、はああ疲れたとため息ついて、よっこらしょとつぶやくときもあるが、聞いてる犬猫にはスルーされる。
ところが、ここにじゃまが入るのだ。