現在も使われる「ヤシ科樹林」の記号
現在も使われている「ヤシ科樹林」は、記号が多かった明治の図式には意外にも存在せず、初登場は「大正6年図式」である。
「椶櫚(しゅろ)科樹林」がそれで、「昭和40年図式」では5万分の1地形図で使われない時期もあったが、「昭和40年図式(同44年加除訂正)」では完全復活を果たした。戦後であるから用語も「しゅろ科樹林」と平仮名だ。
さらに「昭和61年図式」では記号の名称が「やし科樹林」と変わって現在に至る。厳密に言えば「椶櫚科」の図式は「椰子樹、檳榔(びんろう)樹、 林投(アダン)樹等の樹林」、「しゅろ科」の図式は「しゅろ、そてつ、やし等の密生地」、そして「やし科」の記号は「やし科、へご科、たこのき科等の植物密生地」に適用されることになっている。
最新の「平成25年図式」ではさらに詳しく、「ヤシ科植物(フェニックス、シュロ、ナツメヤシ等)、大型のシダ植物(ヘゴ等)、大型の熱帯植物(タコノキ、ガジュマル等)が密生している地域に適用する」となった。
愛媛県のJR宇和島駅から続くワシントンヤシの並木、静岡県伊東の国道135号沿いのフェニックス(カナリーヤシ)並木ではこの記号が並んで南方気分を感じさせていたが、今の図では残念ながら見られない。それでも滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木がまだ描かれているのは、担当者のこだわりだろうか。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。