きらめく瞬間の思い出
まるで、人生で味わったことがないきらめきを凝縮し、敷き詰めたような時間だった。
始まったその瞬間から、終わりに向かって砂時計は流れ落ちていく。きらめくようなこの瞬間の連続は、瞬く間に過ぎ去っていく。
きっと人生も同じだ。
耐え難い苦痛も、この瞬間が続けばいいのにと思うような時間も、溢れて流れて、一瞬で手の内からこぼれ落ち、二度とは戻らない。
ちゃんみなは言った。「今日は今日しかないから、最後まで楽しんでいって」。
そう、今日という日は、今という瞬間は、二度と訪れない。不可逆だ。そんな儚い、胸が苦しくなるほど切ないこの刹那。もう二度とは戻れない瞬間の連続を生きている現実と、彼女は全力で対峙している。
ちゃんみなは確かにそこで命の火を燃やしていた。命を削り、人生の尊さを叫び、訴えている。
ライブに行っていた友達が、ライブに行くために働いているし生きていると言っていたけど、いまならその意味がわかる。
日常は代わり映えしないからこそ価値がある。でも、それは時に心を曇らせ、鈍らせて、何かを感じ取る力を失わせてしまう。
何のときめきもなく、ただ起きて、働いて、餌のように食事を詰め込んで。そしてまた眠る。そんな機械的にリズムを刻むような色のない生活の連続。その先にも、あの夢のような空間が待っているのなら、耐えられるような気がしてくる。
その先にも、あのきらめく夢のような空間が待っているのなら、耐えられるような気がしてくる。