母が住んでいた家をみんなが集まれる場所に
『ピエタ』の公演が無事終わり、一段落したら、家族や親戚と過ごす時間も大切にしたいと思っています。実は昨年末、母を見送りました。80代半ばでした。
腰椎を圧迫骨折して救急車で運ばれたんですが、その時の病院の対応が納得のいくものではなくて……。姉が怒りで震えているのを見て、「ここは私が」と思い、担当医とお話しして母を退院させました。それからしばらくは、一緒に外出もできたのですが、今度は脳梗塞で倒れ、また同じ病院に運ばれて……。
母は以前、上あごの腫瘍切除の手術を受けており、特殊な入れ歯を使っていました。でもそれを外されてしまい、食べることも話すこともできなくなってしまって。姉が何度も「つけてあげてください」とお願いしても、聞いてもらえませんでした。2週間何も口にできず、栄養は点滴のみ。
母の尊厳を守りたい一心で、姉と相談し、退院させて実家で看病することにしました。在宅医療の先生を探して来てもらいましたが、2週間も口を動かさなかったせいで、嚥下ができなくなっていて。本人が胃ろうや延命措置はしてほしくないというので、点滴で栄養を補給しながら、見守り続けました。
退院してから見送るまでの約1ヵ月間、毎日、叔母や姪っ子、姪の子どもたちなど、たくさんの人が母に会いに来てくれて。私もその間は仕事をほとんど入れず、姉と交替で母に付き添い、夜は母と一緒に過ごしました。
姉もみんなも、朗らかに、献身的に介護をしてくれる。その様子を見ながら、この人たちに何かあったら、私がお世話したいなぁと感じたんです。母が住んでいた家は、今、誰も住んでいないので、落ち着いたらちょっと手を入れてみんなが集まれる場所にしたい。私も、いつでも帰れるようにしたいです。
私はひとり者なので、最後はどこで過ごすかということも考えています。実家のある神奈川県の厚木で仕事をするのもいいかも、とか――。劇場やライブハウスもあるから、やろうと思ったらいろいろなことができるはず。都心でなきゃいけない理由はありません。
姉の嫁ぎ先が実家の近所の元兼業農家で、使わなくなった畑を家庭菜園にして野菜を作っています。庭に舞い込んできたニホンミツバチを義兄が捕獲して、養蜂に挑戦したりして。そのハチミツが、おいしいんです! この先起きると言われている食糧危機に備えて、みんなで自給自足しながら暮らせるコミューンみたいなものを作ったら楽しいんじゃないかな。そういう村が全国にたくさんあって、ゆる~く繋がったら、面白そう。
ブックカフェもやってみたいし、ブレックファーストつきのトークショーとかも楽しそう。私も若い頃はバカみたいに夜中まで飲み歩いたりしていたけれど、そういうこともなくなり、最近はやたら早起きに。「掃除終わっても、まだ9時だよ」みたいな感じで、午前中やることないんですよ(笑)。シニア世代が時間を有効に使えるエンターテインメントはなんだろう、などと想像しています。
そんなふうにバラバラに散らばった妄想はたくさんあるけれど、それもいつか形になるんじゃないかな。思いついたことは忘れないタイプなので、きっとベストタイミングが来た時、引き出しからいろいろなものをパッと出せると思います。