自分の意見はしっかり伝える
周りに左右されない性格は、昔からでした。
コーチの機嫌を窺いながら泳ぐ選手が周りに結構いて、なんでそういう風になるんだろう?って。私は自分がこうしたいと思ったことを行動に移すし、自分の中では、気持ちが切れたら速くならないという前提がある。泳ぐのは自分だし、速くなる、ならないは自分の問題です。それを誰かに教わったという記憶はないですね。
自分の意見をきちんと述べるところは、多分母の教育もあったり、幼児教室に通っていたからかなと思います。自分の意見を述べないと相手には伝わらない、とずっと言われて育ってきました。
言わなきゃいけないことはちゃんと言って、言わなくてもどうにかなることは言わない。特に水泳に関しては、自分のためになること、自分の体に負担にならないことを優先して発言してきました。
周りには自分の意見を言わない人が本当に多いです。私は、その場で言わずに後から何か言われるのも嫌だし、人伝てに言われるのも嫌いです。
小さい頃、母に言われたことはたくさんあると思うんですが、何も覚えていないんです(笑)。よく喋るし、仲良いんですが、私は他人の言葉が右耳から入って左耳から抜けちゃうタイプなので。
心に刺さっていることがあっても、時間が経つと抜けちゃう。その時に言ってくれる言葉をどんどん取り込んで、それが必要なくなったら、次に変わっていく感じでした。
小さい頃、遊びの一環で、なりたいものをイメージして絵を描くことを幼児教育の講師をしている母に言われてやっていました。
よくオリンピックの表彰台の真ん中にいる絵を描いていたんですが、それも別に本気じゃなかったと思います。イメージするのは自由なので。でもその頃からイメージトレーニングの習慣は体に染みついています。
初めてオリンピックを意識したのは、2015年の世界選手権が終わった後です。それまでオリンピック選手になりたい、と思ってはいなかった。ただシンプルに、同じクラブのライバルに勝ちたいと思って泳いでいました。水泳に関して、ごく単純な気持ちで、何の汚れもなく、ただ楽しいから泳いでいましたね。
※本稿は、『もう一度、泳ぐ。』(文藝春秋)の一部を再編集したものです
『もう一度、泳ぐ。』(著:池江 璃花子/文藝春秋)
大病から5年。決して平坦ではなかったパリまでの道
記録を出し続けていた18歳のときに大病を患い、闘病生活へ。10ヵ月後に退院してから今日まで、彼女は何と闘ってきたのか。