岡田さんが吉田監督(右)を〈スカウト〉して以来、仕事も人生も二人三脚で歩んできた(写真提供◎岡田さん)

公私ともに二人三脚。映画は永遠に輝く

吉田と結婚したのは、64年、私が31歳のときです。彼は幼い頃に母親を亡くし、私は父を亡くしている。言葉に出さなくても、お互いに理解し合える部分があったのだと思います。

当時は、結婚したら女優として第一線で活躍できなくなる時代。私もその覚悟はありました。でも吉田は、女優を続けるべきだと思ったようです。

吉田は結婚2年後に松竹を辞め、私と独立プロダクションの「現代映画社」を設立。吉田は私を主役に、11本映画を撮りました。

もちろん私はほかの監督の作品にも出ましたし、映画の衰退とともに舞台やドラマの仕事も増えていきました。おかげで借金はせずに、二人のお金で映画を作ることができました。

吉田は私に、女優は家事をしないほうがいいと言います。でも子ども時代からやっていたので、じつは嫌いじゃない。「岡田茉莉子」の鎧を脱いで無心になれるし、気分転換にもなります。ですから、吉田がお風呂に入っている間にこっそり彼の靴を磨いたりしたものです。(笑)

吉田が亡くなったのは2022年12月。89歳でした。亡くなる前日まで元気でしたが、その日の朝、「気分が悪い」と言うので慌てて病院に連れていき――そのまま意識がなくなり、まさに眠るように、静かに逝きました。

亡くなって1年半経ちますが、一人の生活にはまだ慣れません。地に足がついていないようで、どうやって歩いているんだろう、という感じです。

朝起きると彼の書斎の窓を開けて、生前と同じように「おはようございます」と挨拶。朝食のテーブルでは写真立ての前にコーヒーを置き、話しかけながら食べています。

一番寂しいのは夕食後です。いつも二人で並んでソファに座り、テレビを見ながらいろいろな話をしていましたから。彼はワインを飲み、私はアマレット。今も夕食後にアマレットをいただきますが、一人で飲むのは寂しいですよ。