ぎりぎりまで、元気だったんです。二人とも体を動かすのが好きなので、一緒にジムに行き、エクササイズやエアロビクスのクラスに出たり。ですから、まだまだ元気でいてくれると思っていました。ちなみに私は、今でもエアロビクス、ジャズダンス、日本舞踊を続けています。
生前はよく、二人で海外旅行に行ったものです。吉田の映画は社会的なテーマも取り入れつつ、映像美を追求しており、ヨーロッパで高く評価されていました。とくにフランスでは有名でしたので、一緒にシャンゼリゼ通りを歩いていて珍しく私がサインを求められたりすると、「僕じゃないの?」とちょっと不服そうで。(笑)
東大仏文科出身で語学も堪能なので、海外では通訳から荷物持ち、ガイドまですべて引き受けてくれる。美容室の予約までしてくれたんですよ。最後の海外旅行は18年、イタリアでした。博識で、歩く百科事典みたいな人でしたから、「これ、どういうこと?」と聞く相手がいなくなり困っています。まだ彼のそばにいたいので、納骨はこれからです。
改めて振り返ると、私が女優になったのは、やはり宿命だったのかもしれません。さまざまな女性像を作り上げて演じるのは、やっぱり楽しいし、幸せな仕事です。
「女優・岡田茉莉子」として生きているうちに、暗い性格はすっかり姿を消し、明るい人間に生まれ変わることもできました。仕事を辞めるのを吉田が止めてくれて本当によかった。今さらですが、つくづくそう思います。
夫が亡くなったあとも、東京のほか、アメリカ、韓国で吉田喜重監督作品の追悼上映が行われるなど、作品は多くの方に観ていただけている。私たちに子どもはいませんが、作った映画はわが子みたいなものです。
映画は時代を超えて残っていく芸術であり、それが女優として製作者としてがんばったご褒美。機会があれば、ぜひ観ていただけるとうれしいです。