ツーアウトランナー1塁でラストバッター、元木翔大

そして迎えた4日目準決勝、対土浦日大戦。

前日瞬殺の「みのさん」をやらかしてしまった元木翔大。
今日こそは父や母の目の前で清々しい一打を…。
なんでもいい。
感謝でも恩返しでもリベンジでも、なんでもいいよ。翔大の納得の一振りで高校野球生活を終わって欲しい…。

土浦日大の塚原主将とは中学の時リプケン世界大会の時からの親友。こんな対戦ができるとは…

そんな思いで試合を見つめていたら、無情にも
7回の裏、7-5で履正社がリードしている時点で翔大は代打レフトフライに倒れ、私たちの帰京の時間ギリギリを過ぎてしまった。もう打席は来ずサードの守備で終わるであろうという息子に「頼むから、エラーだけはしないで!」念を送り魂だけごっそり抜け出すように、球場をあとにした元木一家。

そして鹿児島中央駅に向かうまさかのタクシーの中で、9回表に土浦日大に3点逆転された後の9回裏。
ツーアウトランナー1塁でラストバッター、元木翔大。一打逆転のチャンス!!

いや、ここでまさか翔大に巡ってくるかね!?

私はもう、タクシーの窓から涙目でぼんやり桜島を眺めていた。
センターフライ、ゲームセット!は夫の携帯の速報で知って、私たちは博多行きの新幹線に飛び乗った。

「翔大にまわせー!」
前のバッターにベンチから声がかかり、きっちりフォアボールを選んでもらったという。
これ以上背負えるものがないほどいろんなものを背負って、あの打席に立ったのだと思う。

マンガみたいにあそこで本当に打っていたら、翔大の野球はこの先変わっていたかもしれない。

お父さんが言うように、つくづく「そんなに甘かない」ことを痛感して終わったからこそ、翔大の野球はおごることなく続いていかねばだ。
7月大活躍の引退試合とは全く違ったけれど、素晴らしい引退試合だったねと、心から母は言いたいのです。

「翔大のピークはまだまだ、この先だってわかったよ。大学でも頑張れ!」

そうLINEに送って翔大から返事が返ってきたのは、ずいぶん時間が経ってからだった。

「最後打てなくてすいませんでした。3年間ありがとうございました」

夢は、続くよ。

最後の自撮り