信玄にとって交易の最大の目的は

結果として、武田家は勝頼の代でダメになってしまいました。信玄もそこまでは計算できなかったのではないでしょうか。あるいは、それほどまでしてでも、海が欲しかったのかもしれません。

海を得たからといって、裏通りの太平洋側交易でどれだけ富を手に入れられたかというとわからない。

信玄にとってみると交易の最大の目的は、鉄砲の採用にあったのだと思います。

鉄砲を用いるためには火薬が必要。黒色火薬は木炭と硫黄と硝石からつくられるのですが、その硝石は日本では採れません。つまり外国から輸入するしかないのですが、港がない状態で商人と交渉しても足元を見られて、不利な条件でも買わざるを得ない。しかし自分自身が港を持って貿易を行えば、恐らく堺の商人から買うより、有利な条件で硝石を入手できる。つまり鉄砲がより使えるようになる。

ただ武田家の歴史では、港を得たあとも、鉄砲は主力武器として出てきませんでした。それを考えると、莫大な犠牲を払って港を得て、水軍までつくって海に乗り出したのに、交易も水軍も有効に機能することはなかった、という気がしないでもない。

そこはやはり信玄の失敗だったのかもしれません。

※本稿は『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!