「最も大変な経験?」ありすぎて選べないわ

亡命中に大統領が亡くなった時は、これから幼い娘とどうやって生きていくか、という経済的な不安が私にのしかかりました。でも、「これで終わり」とは思わなかった。むしろ、「始まり」だと。

それは闘いの始まりです。なぜなら、娘を育てあげなくてはならないのですから、こんなところで終わってなどいられませんよ。「負けるものか」と勇気を振り絞り、国際的なビジネス・コンサルティングのお仕事を始めました。

働いた経験もないわけですから、まさにスクラッチ(ゼロ)からのスタート。猛勉強するのはもちろんのこと、状況、立場、それまでの人脈……可能な限り利用しました。

再びインドネシアで生活する道を選んだのは、一人娘のカリナのことを考えたからです。私は常々スカルノの妻として、カリナの母として、娘にインドネシア語を覚えさせ、歴史や文化、慣習を勉強させなければと思っていました。カリナと7人の異母きょうだいを家族愛で結んでやりたいという思いもありました。

帰ってみれば、大統領が私のために建ててくださった宮殿も、相続した不動産も、すべてスハルト政権に接収されていましたね。私は死に物ぐるいで朝から晩まで働いて。

世は、スハルト政権の最盛期です。スカルノ一族が日の目を見ることなぞ到底不可能な時代。そんな状況下で私は会社を設立し、20人近い従業員を抱え、フランス、スペイン、イタリア、イギリスなどの会社のエージェントとしてビジネスを始めたのです。

スカルノの庇護がなくても立派に生きていることを証明するために、私は絶対に成功しなくてはならなかった。夢中で闘ったかいあって、会社は成長。石油や天然ガスプラントの入札など大きなプロジェクトにも関われるようになり、私はジャカルタの一等地に白亜の豪邸を建てて、自分の力を示すこともできました。私はようやく経済的自立と自信を手にすることになったのです。

ビジネスが大きくなれば、問題も悩みもトラブルも出てくるもの。「最も大変な経験は?」と問われても、そんなことありすぎて選べないわ(笑)。イヤな思い出はありすぎるので、引き出しの奥にしまって出さないようにしています、だから昔のことは忘れてしまいました。