筆者の関容子さん(右)と

そんな僕が小学生の頃に、母が舞台に連れて行ってくれたことがあるんです。劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』(後に『ジーザス・クライスト=スーパースター』)の初演、会場は中野サンプラザ。

鹿賀丈史さん、市村正親さん、久野綾希子さん(当時は久野秀子)、沢木順さんといった方々による、日本初演のミュージカル……じゃなくて《ロックオペラ》と言ってた頃です。

これは後世、浅利慶太氏の代表作になるんですけど、ジャポネスク版で、隈取りなんかをして。市村さんも鹿賀さんも、みんな駆け出しの若手で、エナジーしかないみたいな。そんな演劇にいきなり出会ったんです、幼き頃に。結果、僕はあっち側へ立とう、とその時思ったわけです。

その頃は家が貧しくて、母は姉と僕を劇場に入れてくれて、自分は用があるからって中には入らなかったんです。いま考えるとやはりチケット代のことがあったんでしょうね。

母は本当に演劇が大好きなんです。今も健在で、僕の一番のファンです。20代の頃からのひどかったかもしれない僕の芝居を、全部褒めてくれてましたからね。