素晴らしい母上あっての岸谷さんだったかも。本気で舞台俳優を目指したのはいつ頃なのか。
――学生時代はやりたいことだらけで、将来のことなど考える暇もないくらい遊び回ってたんですけど、本当にこれ、不思議なことに、「あ、そう言えば俺、舞台俳優になるんだった」っていうのが突然、降りてきたんですよ。そろそろ進路を考えなきゃという、高校生の時ですね。
それからはもう舞台俳優になることしか頭になかったんですが、大学には行ったほうがいい、と母に言われて、中央大学に入学。でも大学1年の時、もう19歳で焦っていたこともあって、学生演劇をやることもなく、オーディションを受けて劇団に入れていただきました。
三宅裕司さんが主宰する劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)というところ。応募は100人以上あったみたいですけど、入ったのは僕を入れて3人でした。
最初はあまり役がつかないんで、毎日いろんな稽古づくし。舞台で見せられるものは全部吸収しようと、アクロバットとかタップダンスとかジャズダンスとかクラシックバレエとか。
バレエは当時ワンレッスン1500円だったかな。アルバイトを3時間しないと稼げない金額で、夜中のサンドイッチ工場とか解体工事とか、あらゆるアルバイトをしました。
三宅さんから当時、唯一褒められたのは、「岸谷は劇団のレッスンだけじゃなく、外にアプローチしていってるのがいい」って。
ですから第1の転機は、この三宅さんの劇団に入って演劇の道への第一歩を踏み出したことでしょうね。