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理想の母娘の形

私は高校をやめ、美容師として働くことに決めた。決して、母のようにはならない。一人でも強く生きられる女になろうと、心に誓って働き出した。実情は「一人で強く生きられる女」とはかけ離れていたが、その時の決意は本物だった。地元の美容院で働きながら定時制の専門学校で免許を取るまでの3年間は、なるべく母と顔を合わせないように過ごした。

弱い母が嫌いだった。父なんか捨てて、好きに生きて欲しかった。それでも、母が父じゃない男の人と会っている気配がするとイライラしたし、母が家に帰ってくる音が聞こえると嬉しく思う自分にもイライラした。結局、いくら強がっても私は子どもで、壊れていく家族に対して何もできなかったことにイライラしていたのだと思う。

あれから25年。母はその後、宗教に頼るのをやめ、とてもいい人と出会って再婚し、今では中日ドラゴンズの母となって暮らしている。私も地元で結婚し、子どもを産んで母となった。母と新しいパートナーのところに、子どもを連れて遊びに行くようにもなった。決して仲が悪いわけではない。でも私と母の間には、あのときからずっと何かが挟まったままだ。

いつの日か、あの日の話をするときが来るのかもしれない。「実は捨ててあった手紙を読んだ」と言い出されたらどうやって反応しようか、何パターンも考えてある。

母から言い出されなくても「本当はあんなこと思っていない。あのとき、一番つらかったのはあなたなのに、悪いのは父なのに。支えるどころか傷つけてしまってごめんなさい」と謝った方がいいかもしれない、と思うこともある。

母も、ずっと気恥ずかしい状態のままでいるのかもしれない。人には言いづらい過去を胸にしまい、乗り越え、ようやくお互いの幸せを想い合う余裕ができてきた。こんな風にいつまでも気まずく照れくさいのは、女同士だからかもしれないし、意地っ張りで子どもっぽいところがそっくりなせいかもしれない。

友だちのように仲良く過ごす母と娘でなくても、お互いの幸せを静かに嬉しく想っているというのが、私たちなりの理想の母娘の形かもしれないと今は思っている。

母は中日ドラゴンズの記事以外、あまり文章を読んだりはしない。けれど、この本が書店に並んだら、きっと私に黙ってたくさん買って周りに配ってくれるに違いない。

 

※本稿は、『褒めてくれてもいいんですよ?』(著:斉藤ナミ/hayaoki books)の一部を再編集したものです。