「医者の適性」がゼロでもかつては医学部に入学できた
面接が課せられない時代に受験をした私は、学力テストの成績だけで東大の医学部(理科三類)に合格し、入学しました。
実は、私の本当の夢は映画監督になることで、医者になろうと思ったのはその資金を稼ぐためです。医者になれば儲かるだろうと考えていただけで、動機は極めて不純だったと言わざるを得ません。また、小さい頃から学力は高いほうでしたが、アスペルガー症候群の傾向があって、人とのコミュニケーションも苦手でした。
今振り返ると、性格もよくはなかったと思います。
そんな当時の私がもしも入試面接を受けるようなことがあったなら、「医者としての適性」も、「医者になりたいという高い志」も、教授である面接官からすれば「0点」という判断になるでしょうから、医学部に入ることはできず、当然医者にもなれなかったはずです。
大学に入ってからも映画制作のことで頭はいっぱいで、肝心の授業はサボってばかりでした。
お金のためだとはいえ医者になる必要はあったので、試験前になると同級生たちに頭を下げて、ノートを借りたり試験の過去問を回してもらったりしていた私は、周りから冷めた目で見られていたと思います。
「勉強ができるからといってお前のようなやつが医学部に入ると、本気で医者になろうとしてるやつが一人落ちるということがわかっているのか?」などと説教してくる「志高い」同級生も多数いました。
結局、東大医学部での6年間では大きく変わることができませんでしたが、そんな私も、医師国家試験に合格して東大病院の精神神経科・老人科・神経内科で研修医として働き、その後、国立水戸病院神経内科の救命救急センターでレジデント(後期臨床研修医)をやったりする中で人の生死に関わるような場面にも遭遇し、医者という仕事はいい加減な気持ちではできないことを実感するようになりました。
ほぼゼロに近かった医者としての自覚が生まれたのです。