(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。横浜流星さん演じる主人公は、版元として喜多川歌麿や東洲斎写楽らの才能を見出した“蔦重”こと蔦屋重三郎です。重三郎は、どのようにして江戸のメディア王まで上り詰めたのでしょうか?そこで今回は、書籍『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』をもとに、日本美術史と出版文化の研究者で元東京都美術館学芸員の松木寛さんに解説をしていただきました。

新米版元が異例の実績を上げる

安永3年の『一目千本』から始まった蔦屋の出版業は、安永5年、6年と徐々に出版点数を伸ばしながら、順調に実績を上げていった。

蔦屋の最初期の出版を見た時注目されるのは、細見や絵本の作者(あるいは序文の作者)と、それらの挿絵の筆者である。ここで我々は朋誠堂喜三二、北尾重政、勝川春章の名を幾度も目にする。

朋誠堂喜三二は、安永時代に開始された新文学・黄表紙界のリーダー格の戯作者であり、北尾重政、勝川春章の2人は、鈴木春信歿後の浮世絵界を支える名だたる名手達である。

常識的に言えば、まだ駆け出しの新米版元である重三郎が、喜三二や重政、春章といった一流の芸術家達と、開店早々から強い誼(よしみ)を通じ、その企画に彼らを参画させるなど、簡単にできるはずがない。