何もないところに町をつくるということ

家康はおおぜいの家臣団を連れて江戸に入った。そのため江戸の都市機能は、急ぎ整備されていくことになります。

ほとんど何もないところに町をつくる。

人口減少でインフラにお金もかけにくい現代からすると、なかなか無茶なようにも感じますが、当時はこういうことがしばしばあった。

その一番良い例は、秀吉が作った肥前・名護屋でしょうか。

朝鮮出兵のため、極めて短期間に人口10万人の都市ができあがりました。