八幡信仰

八幡神を祀る「八幡神社」や「八幡宮」は全国にくまなく広がっています。『古事記』『日本書紀』に登場しない八幡神の信仰が広がったのは、常に政治の中心に近い位置で崇敬されてきたからだと考えられています。

八幡信仰の発祥は宇佐八幡宮(大分県宇佐市)です。祭神は八幡大神(誉田別尊<ほんだわけのみこと>=応神天皇)、比売大神(ひめおおかみ)(多岐津姫命<たぎつひめのみこと>・市杵嶋姫命<いちきしまひめのみこと>・多紀理姫命<たぎりひめのみこと>)、神功(じんぐう)皇后の三神です。

『ビジネスエリートのための 教養としての日本の神様』(著:深結(みゅう) 監修:西岡和彦/あさ出版)

宇佐地方の御許山(おもとさん)信仰が原型とされていますが、神託を受けて宮司家となった渡来系氏族の辛嶋氏(からしまうじ)が大陸や半島の文化と仏教をもたらし、やはり神託を受けた宮司家で畿内(近畿)出身の大神氏(おおみわうじ)が応神天皇崇拝を持ち込んで融合し、7世紀までに八幡神となったとされています。

地理的に大陸文化がいち早く入り、7世紀後半には関連寺院が設けられました。8世紀初頭に現在の場所に建立されたころから境内に弥勒寺(みろくじ)という神宮寺があり、正式には「宇佐八幡宮弥勒寺」と号し、神前読経が行われるなど、神仏習合が最も進んだ神社でした。

720年に南九州で起きた隼人の反乱では朝廷の軍は手を焼きましたが、八幡神の神輿が加わったのち勝利を収めました。

その後、八幡神の託宣があり、多くの命を奪った罪を贖うために年に一度、生類を放つ仏教由来の「放生会(ほうじょうえ)」が宇佐八幡宮で行われるようになりました。八幡宮の最も重要な神事として各地の八幡宮で現在も受け継がれています。