《ダメ夫》の代わりに家計を支えた
4歳の時に母が亡くなり、父は再婚しましたが、その義母も私が8歳の時に亡くなりました。残されたのは2歳の弟と生まれて半年の妹。弟は私にずっとついて来るし、赤ちゃんのいる知人の家へ妹のお乳をもらいに山を越えるのも大変で、学校にはろくに通えませんでした。
中学校に上がる頃に父ががんになり、私はその看病と、きょうだいの世話、畑仕事の全部を一人でやることに。先生は「来られる時には顔を出せ」と言ってくれたけど、たまに行ってもついていけません。そんな私の過去を知った孫が、「おばあちゃん、こんな格好したかったんと違うか」と言って、制服姿のアバターを作ってくれたんです。
学校を出る年になっても、体を動かす仕事しか見つかりません。工事現場の仕事先で出会った男性と、20歳で結婚。父が7年の闘病の末に亡くなり、弟や妹も自分たちでなんとか生活できる年齢になった頃でした。「実家を出ないと一生きょうだいの世話で終わってしまう」と思っていた時、ちょうど「結婚しよう」と言われたんです。(笑)
いい人だったし惚れてもいたけど、人に奢ってばかりで家にお金を入れない《ダメ夫》。22歳で長男、24歳で次男が生まれましたが、私が食品の卸問屋で働いて家計を支えました。
お菓子屋さんやうどん屋さんに、砂糖やメリケン粉を配達する仕事でした。途中からは免許を取って車で運んだけど、最初は担いで持って行ったんですよ。多い時は1日100俵くらいになります。そんな仕事を56歳まで続けたおかげか、今でも足腰は丈夫。定年退職後は、ラムネやサイダーを作る工場で70歳手前まで働きました。
息子たちも中学生からは新聞配達で家計を助けてくれて。次男が配達の仕事を辞める時、職場の人から「お母さん、代わりにどうですか」と誘われ、卸問屋の仕事の前後に1日30軒の配達を始めました。10年続けたら、今度は「集金を手伝ってくれ」と言うので、それも始めて。月に400軒は回りましたよ。