やがて私はジャズバーでスカウトされて、40歳でデビュー。翌年、「テネシー・ワルツ」や「アメイジング・グレイス」などを収録したアルバムがおかげさまで大ヒット。あれよあれよという間に忙しくなりました。

母から、「どないでも好きにしたらええけど、お母さん業をやめたら歌えなくなるよ。人間失格やからな」と言われた私は、毎朝、息子のお弁当を作って仕事に出かけてました。

親としてしっかり働かないといけないという責任感と、お客さんの前で歌う喜びに支えられて、年間250公演ものコンサートをしていたんです。

おかげで家も建てられて(笑)、よかったなぁと思っていたんですけど、デビューから7年後のある朝、母が脳梗塞で倒れて……。

後編につづく

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