ひっくり返ったタンス

あるとき小型のタンスがひっくり返っていた。

竹下さんのうえに倒れ込み、彼女は額を怪我していた。助け起こしながら、「何をしたの」と叱っても彼女は前歯のない口で笑っただけだった。額から出た血が手についていた。よほど痛かったのか、それからしばらくは衣服の引っぱり出しはしなかった。

「どうしてあんなことをするのかな」

施設長の吉永さんに尋ねると、彼女は、

「唯一の持ち物だからじゃないの」と言った。

「彼女、他に、なんにも持っていないでしょ。それを盗られていないか心配なのよ」と言った。