「いい服は何も持ってない」
わたしは、「刑務所暮らしでは……」と言いかけて口をつぐんだ。そして、「かわいそうといえばかわいそうね」と言った。
「それもいい服は何も持ってないのよ。普段着と着古した肌着だけなのにね」
施設に入っている人の生活は断捨離である。
極めつきの断捨離である。
病院に入院したときと同じで、最小限の身のまわりの物だけ。コップや歯ブラシなどの洗面用具、肌着に普段着、抱き枕、ときどき小型のラジオや数冊の本、1本のボールペンを持っている程度である。
ただ多くの入居者には家族があり、帰ることのできる家がある。アルバムや思い出もある。が、竹下さんは本当に何も持っていなかったのだ。グループホームの生活がすべてであり、懐かしい思い出すら持っていなかったのだ。
※本稿は、『家族は知らない真夜中の老人ホーム』(祥伝社)の一部を再編集したものです。登場する人物および施設名はすべて仮名としています。個人を特定されないよう、記述の本質を損なわない範囲で性別・職業・年齢などを改変してあります。
『家族は知らない真夜中の老人ホーム』(著:川島 徹/祥伝社)
10年間働いてきた介護の現場をそのまま書いた記録。明日は我が身か、我が親か⁈入居者のなかには「死にたい」とつぶやく女性も、元歯科医も、元社長もいた。イレズミを入れた男性は「ここは刑務所よりひどい」と断言した。老人ホーム、そこは人生最後の物語の場である。この本では、著者が夜勤者として見た介護の現場が記されている。みんなが寝静まった真夜中に、どんな物語があっただろうか