がむしゃらにしがみついて

獅童さんがオーディションを勝ち抜いてブレークする、映画『ピンポン』が第1の転機か。

――絶対そうですね。それまでにどのくらい落ちてるか。(笑)

錦之介の叔父は映画の世界で大スターだったし、父は途中から東映のプロデューサーになったんで、うちには叔父のビデオがいっぱいあった。それを小っちゃい時から見てたんで、歌舞伎役者への憧れと同時に、大スクリーンの中で演じてみたいという思いが芽生えてたんですね。

それで映像でも舞台でも、新聞広告で見たらすぐに応募していっぱいオーディション受けて、いっぱい落ちて。たまたま受かったのが『ピンポン』で、これが大ヒットしたわけです。

実はこの時も勘三郎さんに繋がりがあって。そのころ僕は野田秀樹さんの『贋作・桜の森の満開の下』のオーディションも受けていて、最後まで残ったけど落ちて。そのことを僕が勘三郎さんに話したんですね。そしたら間もなく勘三郎さんと野田さんが初タッグを組み、八月の納涼歌舞伎に『研辰(ときたつ)の討たれ』をやることになった。

その時に、「獅童が本名でオーディション受けて落ちたんだって」と野田さんに話したら、「じゃあ」って僕向きのちょっと面白い役をそこに書いてくださったとかで、「よかったなお前」って。そしたらいい話って重なるもんで、『ピンポン』に受かって、撮影が8月からだって言うんです。

それでお兄さんのとこへ言いに行きました。「何、ピンポン? 何なのそれ。いい役なの、それ」「二番手の役ですけど」「あ、そう。それやったほうがいいよ、あんたそっちやったほうがいい」って言ってくれた。もしも、「こっち先に約束してんだからこっち出ないとダメだよ」って言う人だったら、僕は『ピンポン』に出会ってなかったんです。