ゲバ棒とヘルメットよりもナウへと向かうヤング

先端をいく若者たちを、ナウでヤングと表現したのは昭和50年頃だが、昭和46年の若者たちの意識に新しい何かを常に求める意識が急速に高まったはずだ。万博の成功は大きかったと睨んでいる。

ヤングはナウを強く求め、それはゲバ棒とヘルメットより魅力的に決まっている。ヤングにまるで寄り添うがごとし、アメリカンテイストがナウく幅を利かせていく。

アメリカ文化をそのまま輸入したマクドナルド。

アメリカの強い影響を受けて生まれた『カップヌードル』。

それまでの日本になかった2大エポックだ。

銀座発の昭和後期フードカルチャーは、今も輝きを失わず君臨する。これが昭和後期元年だったことは、運命的だし象徴的でもある。いくつも連なった背景が、まるで集約されるようにして新しい文化を後押しした。

※本稿は、『俺たちの昭和後期』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。


俺たちの昭和後期』(著:北村明広/ワニブックス)

大阪万博後の昭和46年からミラクルジャパンを成し遂げた昭和64年まで――

人気雑誌『昭和40年男』創刊編集長が“俺たちの”熱源を大検証!

懐かしむのではなく、明日への元気と夢を灯す――。共感渦巻くエンタメ新書です。