世界がばらばらになった平成元年
平成元年は1989年である。バブルが弾け、日本の衰退元年の年である。
冷戦が終わり、ソ連が崩壊し、天安門事件が起き、ビルマの軍事政権がミャンマーと改称し、ベルリンの壁が崩れるなど、世界がばらばらになった元年でもある。
まあそんな大状況は、措いといて、と。わたしがその間、恩恵を被ったのはインターネット―それも最小限のEメール、YouTube、検索機能―だけである。
たしかにこれは画期的だった。けれどそれ以外は、わたしは時代とずれまくっている。ずれまくっているのは、基本的に価値観だといっていい。
わたしの価値観の源泉は、昭和の時代が元になっている。昭和の時代の素材が元ではあるが(家族や生育環境も入っているだろう)、そこから自分の価値観を作り上げたのは、あくまでもわたし自身である。
それがどんなものか、自分でも明言できない。それは、好き嫌いでできている。好きなものは、強いて一言でいえば、たぶん叙情、惻隠(そくいん)、哀憫(あいびん)である。
もうひとつ好きなことは、白洲次郎がいった「プリミティブな正義感」のようなものである。
白洲はこういったとされる。
ボクは人から、アカデミックな、プリミティヴ(素朴)な正義感をふりまわされるのは困る、とよくいわれる。しかしボクにはそれが貴いものだと思ってる。
他の人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない。ボクの幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう。(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮文庫、2000)
わたしは白洲次郎みたいな男である、といいたいわけではない。そんな大それたことは微塵も考えていない。正義をなすためには勇気が必要だが、わたしにはその勇気が欠けている。