唱歌・童謡の名曲がもったいない
唱歌や童謡が完全に消えつつあるらしい。絶滅危惧種という言葉は聞くことがあるが、唱歌・童謡はさしづめ絶滅危惧文化のひとつであろう。
危惧ではなく、すでに絶滅しているか。言葉に死語があり、生物に絶滅種があるのとおなじである。
唱歌は学校教育で唄われた歌だが、その難しい歌詞は、すでに「大正時代の民主化運動の流れと重なって、次第に有識者による『唱歌批判』へと発展し」た、といわれる(海沼実『正しい唱歌・童謡のススメ』ノースランド出版、2007)。
また昭和30年代には「一部の若手作家達が童謡をビジネスとして扱うようになり、次第に過去の名作を排除しては、自分の作品を売り出すことに必死に」なった。
その結果、「新しい子どもの歌」は全然普及せず、「単に古き良き唱歌や童謡を衰退させ」ただけになった。いつの時代にも、自分の私利私欲を大義名分で粉飾する卑しい輩はいるものである。率先したのか、後押しをしたのか知らないが、文部科学省の仕業である。
たしかに「村の鍛冶屋」の鍛冶屋も、「めだかの学校」のめだかも、いまではほとんど見ることがなくなった。
「仰げば尊しわが師」の尊い先生もいなくなり、増えているのはわいせつ教師ばかりだ。「姐や」も「たき火」も「じゃのめ」も、現代の生活のなかから消えてしまった。