無価値が価値あるものに思えてくるのは

その他、わたしの好きなものは、昔ながらの風景であり、自然である。嫌いなのは、人間の余計な作為や作意である。

上海の金融街にそびえ立つ高層ビル群は壮観といえば壮観だが、醜悪でもある。自然を電飾の光で人工的に飾り立てたものは、好きではない。

プロジェクションマッピング。あれも慣れてくると、なにがおもしろいのか。それらは、無意味の意味化であり、無価値の価値化である。意味も価値も本来は無意味で無価値なものだが、一応それらしくはできている。

けれど最近のものは、ただ目を引くだけで、それらしくもなく、いかにも無意味でバカ丸出しの無価値なものだ。

平成に入ってからの日本は、というか世界は、こういうことが顕著になったと思う。人はそれを下らんものだと思わずに、反対に、乗せられてしまう。

無意味が意味あるものに思え、無価値が価値あるものに思えてくるのは、それが金になるからである。

 

童謡にあるような懐かしい風景(写真はイメージ/写真提供:Photo AC)