「持つ者」「持たざる者」それぞれの地獄
4話では、虎朗のこんなセリフが登場する。
「みんな自分が持ってないものの話になると、冷静じゃなくなるんだよな」
このセリフにすごく共感する。
地域に根付いた病院である蔦村医院の後継ぎと結婚し、受付で働いている晶子(田辺桃子)のことを、礼子は「なんでも持ってる人」だと思っていた。しかし、実際は晶子は跡継ぎの嫁として、「孫を産むこと」を義理の両親だけでなく、患者たちからも強く望まれ、日々そのプレッシャーと闘っていた。さらに、不妊治療に通っていた。
様々な事実を知った礼子は、「外から見てるだけじゃ本当のところわからない」
と自らの言動を反省する。
不妊治療をしている人からすれば、子どもを授かった人はまさに「持つ者」と映るだろう。
「持つ者」「持たざる者」というレッテルを貼るのは簡単だが、外から見えないことの方が多い。「持つ者」に見える人にもまたそれぞれの地獄がある。また、「持つ者」「持たざる者」とはとても主観的な概念で、絶対的なものではなくとても相対的なものなのではないか。
色んな論点があると思うが、「子持ち」を「持つ者」、「子なし」や「独身」を「持たざる者」とする風潮には、私は強い違和感を覚えている。
子持ちは「子持ち様」と揶揄され、社会から疎まれることすら多いのが現代の現実だ。「子持ち」が「持つ者」であり、強者とされるのには、背景がある。賃金は上がらないのに税金や社会保険料は上がり続け、未曾有の物価高はとどまるところを知らない。さらに必要最低限と言われる教育費の水準も上がり続けている。そんな状況では、とても子どもなんて持てないという人が増えるのは仕方のないことだ。