子育ては「誰かがやらないといけないこと」

子育ては誰かがやらないといけない。少子化により社会保障制度や教育制度、社会そのものが維持できなくなったら不利益を受けるのはこの社会で生きるすべての人なのだ。そう思うと、子育てする人は自分のためだけにやっているのではない。この社会で生きるすべての人の替わりに、命がけで子どもを産み(これは女性だけだが)、多額のお金をかけ、体力や時間、持てる資力を使って、時に自分のキャリアややりたいことを犠牲にして、「誰かがやらないといけないこと」をやってくれている人たちなのだ。

そんな人たちを一方的に「持つ者」と決めつけ、子持ち様と揶揄する。そんな視座の低さがあらゆるものの見方や議論を歪ませている気がしてならないのだ。子育てをする人への給付金などの議論が出ると、「独身税だ」「独身を無下にするのか」といった声が出る。

しかし、ひとりの人間を育てるとなれば途方もないお金がかかる。給付金が出ようが焼け石に水。経済的に負担を回避するという観点であれば子どもを産まないほうがよほど正解なのだ。

実際は大きな犠牲を払っている人を「持つ者」と断じるのではなく、実情を冷静に見ることが必要なのではないか。

前回「NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』が描いた「夢が叶わないこと」。その後の人生のほうが長いのだから、そちらを教えるべき」はこちら

【関連記事】
『対岸の家事』第6話。共働きを推進する職員から「復職しないのはもったいない」と言われた詩穂。「専業主婦でいたい」と思ってそうしてるけど…<働かない>はダメですか?(ネタバレあり)
火曜ドラマ『対岸の家事』第5話。中谷から言われた「体験は親から子へ贈る武器」が忘れられない詩穂。礼子は家事を手伝わない夫がBBQではテキパキ働く姿に釈然とせず…<ネタバレあり>
劣悪な環境の労働に「嫌なら辞めればいい」は正論ではない。自己責任で片づけるのは思考停止、建設的な議論を生まない