経験者はやはりわかってくれる
筆者が「親が早く死んでくれたら楽になれる、と願う自分が情けないです」と吐露すると、「私だって何度もそう思いましたよ。そこまで思い詰めなかった人は、軽い介護だったのではないですか。むしろ本気の介護をしていないのかもしれません」と自身の体験をいろいろ話してくれた。
経験者はやはりわかってくれると痛感しただけでなく、ここで投げ出したなら後悔するということを再認識できた。とてもありがたい存在だった。
もし他の兄弟姉妹に声を掛けても、仕事とか子供とか健康状態とか、何らかの理由を付けて介護を渋るようであれば、手助けすら期待できないと考えておいたほうがよさそうだ。もし嫌々ながら参加してくれても、やる気のない状態なら、被介護者にとっていい介護にはならない。
それだけではない。たとえ少し手伝っただけでも、そのことを理由にして裁判では「自分も献身的に介護した」と主張することが可能である。たとえおざなりなものであったとしても、いい加減な介護だったことをあとから立証することなどできないから、いかようにも言えるのだ。
※本稿は、『介護と相続、これでもめる! 不公平・逃げ得を防ぐには』(光文社)の一部を再編集したものです。
『介護と相続、これでもめる! 不公平・逃げ得を防ぐには』(著:姉小路祐/光文社)
著者の実体験をベースに、介護を経験した人たちのナマの声を拾って見えてきた日本の社会構造的な欠陥。
超・高齢社会が進む我が国で、「転ばぬ先の杖」として大事な心構えとは。
核心をつく提言。