年配者の穏やかな生き方
『異邦人』のムルソーが口にする「サメテガル」には、「もうどうでもいいや」というような厭世的な雰囲気もある。「おれの知ったことじゃない」といった、自分や自分を取り巻く社会への無関心もある。やがて殺人を犯すことによって、ムルソーは「サメテガル」を口癖にしていた自分を反省する。「サメテガル」という言葉は本来、必ずしも好ましい言葉ではない。
だが、この言葉を前向きにとらえてはどうだろう。
社会に背を向けて拒否するのではなく、「どれでもいい」「どっちでも同じだ」を積極的に考える。「どれもいい」「どれを選んでもよい」と考える。さまざまな事柄に対して肯定的に「サメテガル」を心掛けることこそ、年配者の穏やかな生き方だと思うのだ。
少し周囲から我が身を離し、シャカリキにならず、決めつけるのでなく、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。どちらでもいい」と考えてみる。あるいは、もっと進んで、「どれでもいい。どれも同じことだ」と考えてみる。冷静になって社会を眺め、渦の中からではなく、外側から物事を考えてみる。そんな生き方を「サメテガル」の言葉から感じ取ってはどうだろうか。
ともあれ、「サメテガル」とつぶやいてみる。そうすると、ぐっと人生が楽になるだろう。依怙地になっていた自分から逃れられ、さまざまな事柄から距離を置ける。心が解放されるのではないか。