「冷めてやがる」=「熱くならない」

サメテガルは「熱くならない思考」といえよう。「どっちでもいい」と考えれば、ムキにならない。「こうに決まっている!」と他の意見を排除したり、拒絶したりすることもない。心の中で、あるいは小声で「サメテガル」とつぶやけば、熱くなりかけている自分をクールダウンさせられる。

私が「サメテガル」について話したところ、その語感からある知人は日本語の「冷めてやがる」を連想すると語った。駄洒落のように聞こえるが、まさに的確だ。実際、「サメテガル」にはそんなニュアンスが含まれる。熱くならず、冷めて周囲を見る。無理をせず、ほどほどに考える─そんな雰囲気が「サメテガル」という言葉には漂っている。

もう一人、私が話すと、「冷めて手軽?」と聞き返した人がいた。これも的確だと思う。このフランス語は日本語と実に相性がいい。まさに、熱くならずに周囲を見て、手軽に行動するのが「サメテガル」の思考だ。

何か強く思い詰めていても、ふと「どっちでもいい」と考えた途端に、その思いは冷めていくだろう。最初に抱いた考えは絶対的なものではなくなり、別の考えと同等の「どちらでもいい」ものになる。冷静になり、客観的になって物事を眺められる。思い詰めて突き進むのは周りの誰かに任せておけばいい。自分はそこから離れて穏やかに過ごす。

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何かのために熱心に活動することはなるべく避ける。徹夜して頑張ったりもしない。手軽にできることに手を出す。基本的に「どちらでもいい」と思っているのだから、それほど気合いを入れたりはしない。

他者に何か誘われても、基本的に「どっちでもいい」と考える。そのうえで場合によっては賛同してもいい。誘った人からすると、「お前、冷めてるなぁ」と物足りなく思うかもしれない。ともあれそのように考えて行動すれば、たいていの人と面倒にならず、ほどほど良好な関係を結ぶことができるだろう。

だからといって、頑張っている人や熱い思いを抱いている人を否定するわけではない。

世の中にはいつまでも積極的に活動しようという年配者がいる。サメテガルを心掛ける人は、そのような「熱い人たち」に仲間入りしようとは思わないが、同時にそのような人を否定もせず、「どっちでもいい」と思う。もちろん「サメテガル」を周囲に強要することもない。

「どちらかというと、どちらでもいい」─小論文としては間違いなく不合格だが、私はそう思って行動している。