つぶやくだけで「満ち足りた隠居生活」

私が子どもだったころは、世間を引退したら郊外に構えた小さな住居で、小さな家族だけを守って静かに穏やかに暮らす─というのが、多くの人にとっての理想であり憧れだったと思う。社会とのつながりは必要不可欠なだけにして、穏やかに、楽しく生きる。多くの日本人がそのようなささやかな「理想の老後」を描いていた。

ところが、いまでは「いつまでも現役でいたい」「定年後も働き続けたい」と考え、生涯現役を求める人が増えてきた。いつまでも頑張り続けようとする人が増えてきた。

社会福祉制度への不安や物価高といった経済的な要因も大きいのだろうが、隠居の夢を持たないのはあまりにつらい人生だと私は感じる。もちろん働くのはいい。私も生き甲斐を持つ程度に仕事をしていくばくかのお金は稼ぎたいし、死ぬまで何らかの社会的な貢献はしたい。ただし、周囲に振り回されたくはないし、余計な力を入れたくない。マイペースを守り、自分の嫌なことはできるだけ避けて生きていきたい。

そうはいっても隠居部屋をつくるのはなかなか難しい。住み慣れた家を離れるのも億劫だし、お金もかかる。

では、どうするか。

「サメテガル」を心掛けるだけでいいのではないか。そうすれば心の中だけでも隠居状態になれる。かつて多くの人が憧れていた「隠居」と精神的に似たところがある。

何かあったら心の中で「サメテガル」とつぶやき、他者に何か言われても心の中で「サメテガル」と答える。わざわざ人里離れた場所に居を移す必要はない。座禅を組んだり写経をしたり、修行めいたことをする必要もない。無理して何かのトレーニングをする必要もない。ただ「サメテガル」とつぶやく。それだけでいい。

「サメテガル」という言葉は、実は限りなく豊かな思想を秘めている。

※本稿は、『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』(小学館)の一部を再編集したものです。

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70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』(著:樋口裕一/小学館)

現役時代は「旗幟鮮明」を求められて生きてきたが、リタイア後は多くの場面でその姿勢は必要なくなる。

それどころか、過去のやり方、考え方、振る舞い方に拘泥しすぎると、「老害」扱いされかねないこともある。

そうならないための魔法の言葉、それが「サメテガル」である。