親鸞の平等思想
さらに、親鸞が深く尊敬していた聖徳太子に、このような言葉があります。
「我、必ずしも聖にあらず。彼、必ずしも愚にあらず。共に凡夫のみ」
これは、「私は必ずしも聖者ではないし、相手が必ずしも愚か者とは限らない」という意味です。
「どちらが偉い、どちらが正しい」という価値観ではなく、「私たちは皆、煩悩を抱えた同じ人間(凡夫)なのだ」という視点に立つ。それこそが、親鸞の平等思想だったのです。
そもそも「うぬぼれること」や「マウントを取ること」は、自分が他者より優れているという前提に立っているから生まれるものです。
しかし、親鸞の教えに従えば、「自分もまた、縁がくれば何をするかわからない煩悩まみれの人間なのだ」と気づけます。
そう考えると、「自分が正しくて、相手が間違っている」と断言することが、いかに危うい振る舞いかがわかるでしょう。
「正しさ」にこだわりすぎてイライラするよりも、「誰しも間違えるもの」と受け入れたほうが、よほど気持ちがラクになるのではないでしょうか。