縁さえ来れば何をするかわからない
ここで親鸞の有名な言葉を紹介しておきましょう。
「さるべき業縁(ごうえん)のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』)
これは「もしそうせざるをえないような状況に置かれたならば、自分はどんなふるまいもしかねない、どんなに非道なこともやりかねない」という、自省の言葉です。親鸞は、そういう自らのあり方を自覚することの大切さを訴えています。
私たちは、自分の意思だけで生きているように思いますが、実際には環境や状況によって行動が左右されることが多いわけです。
たとえば、ニュースで犯罪者を見た時、「なんてひどい人間だ」と思うかもしれません。しかし、その人がどんな家庭環境で育ち、どんな状態に追い詰められていたのかを知ると、「もしかしたら自分も同じ状況なら……」と考えてしまうこともあります。
介護殺人のような事件もその一例でしょう。長年の介護に疲れ果て、精神的にも肉体的にも限界を迎えた結果、衝動的に手を下してしまう。普段は温厚な人でも、極限状態になればどうなるかわかりません。
これは決して他人事ではなく、私たち自身も「どんな縁がめぐってくるか」によって、想像もできない行動を取る可能性があるのです。
親鸞は、こうした人間の不確かさを深く理解し、それを受け入れることを教えました。「俺は正しい、お前は間違っている」と断じるのではなく、「ともに間違いを犯すことがある」と認めること。今は間違っていなくても、いずれ自分も誤るかもしれない。そういう視点を重んじる姿勢が大切なのです。
異なる性格・能力・資質・境遇を持つ人間がともに生きる社会に必要なのは、マウントを取ろうとすることでも、怒りや憎しみを増幅させることでもありません。共感的な想像力こそ、大事なのではないでしょうか。
※本稿は、『10人の東洋哲学者が教える ありのままでいる練習』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
『10人の東洋哲学者が教える ありのままでいる練習』(著:筬島正夫/SBクリエイティブ)
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